ひとりでは出歩けない、寝たきり、などの介助が必要な方のために、
ご自宅まで訪問して「マッサージ」や「リハビリ」を行うサービスです。
例えば・・・
■脳梗塞後遺症で神経麻痺があり、外出が大変・・・
■パーキンソン病で歩行がぎこちなく外出が怖い
■転ぶのが心配で、一人での外出は控えている
■少し歩くとすぐに足が痛くなる
■何度も途中で休まないと歩けない
■普段は歩行器や車いすを使っている
■ほとんど寝たきりである
など、外出のままならない方にとても重宝なサービスとなっています。
疲労回復あるいは慰安的な施術ではなく、その方の疾患やからだの状況に合せて行う
医療的なマッサージ治療です。一緒に目標を立て、計画的に施術していきます。
必要な場合は、簡単な運動やストレッチも行います。
患者様お一人お一人の体力や
その日の体調に合せて、安全に施術します。
施術を続けていくと・・
徐々に関節がやわらかくなって、手足が動かしやすくなったり、慢性的な痛みが
取れてきて、自分で出来ることが増えていき、日常生活での行動の幅が広がります。
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さらに・・・・
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からだ全体の調子が整う 便秘が解消する、食欲が増進する等、
相乗的な効果が出てくることも少なくありません。
私どもは、お一人お一人の患者様としっかり向き合い、毎日を快適に過ごせるよう、
精一杯お手伝いします。
院長の松浦 恒明(まつうら つねあき)と申します。
昭和40年10月30日に名古屋市で生まれ、
3歳から大阪府枚方市で育ちました。
O型のさそり座。
■趣味 登山・トレイルランニング・自転車
■資格
柔道整復師免許 平成 9年5月 6日交付
柔道整復師専科教員資格 平成17年11月13日
あん摩マッサージ指圧師免許 平成18年4月11日交付
はり師免許 平成18年4月11日交付
きゅう師免許 平成18年4月11日交付
■家族構成 妻・娘(6歳)・母(79歳)・マル(文鳥)
以下長文ですが、読んでいただければ、私のことがよくわかっていただけるかな?と思います。
小学校時代は、柔道を頑張るちょっとやんちゃな子供でした。
先輩に強い選手が多かったおかげで枚方市、北河内、大阪府の大会で
何度か団体優勝の経験をさせてもらいました。
東香里中学・香里丘高校時代には、陸上部、バスケ部に所属していましたが、
あまり熱心には活動しませんでした。
中学3の夏休みに友達2人と自転車旅行をしました。
1日目は、日本海の若狭湾。2日目は、琵琶湖にテントを張りました。
様々なアクシデントはありましたが、出会った方々に助けていただいたり、
友達と励ましあって過ごした3日間は、その後の人生に大きな影響を与えてくれました。
好きだった地理の勉強ができるということで奈良大学・地理学科に進学しました。
中学、高校と中途半端にクラブ活動をしていたので、
大学くらいは、頑張ろうと思い空手道部に入部しました。
4年間やり通し、主将になってリーダーシップの難しさ、トップの孤独なども経験し、
自信になりました。
大学を卒業して不動産建設会社に入社しました。
関西国際空港建設で大阪も盛り上がっている時でした。
私は、時流に乗ることもなく、トレーニングセンターで筋トレしたり、
トライアスロンのチームに入って大会に出たりする日々でした。
それなりに楽しい日々だったのですが、中3の自転車旅行の記憶が離れず、
いつか自転車で世界を巡りたいという夢が知らず知らずのうちにどんどん大きくなっていました。
そのために、海外でどういう状況になっても自分を管理し、
治せる様な知識と技術が欲しいと思うようになり、入社5年後に会社を退職して、
鍼灸接骨院で助手をしながら吹田市にある明治東洋医学院専門学校柔整科に通うことになりました。
東洋医学の勉強はとても楽しくて、授業後クラスメイトとお店で一緒に勉強したり、
ダイナミックスポーツ医学研究所のトレーナー養成勉強会に定期的に参加したり、
近隣の病院のリハビリルームに半分押しかけで実地勉強させてもらったり、
充実した日々を送っていました。
少ない給料を補うため研修のない休日は、引っ越しセンターのアルバイトをしていました。
2年生の時に阪神・淡路大震災があり、3度ボランティアで神戸に行きました。
仮設住居の体育館はどこに行っても排泄物の匂いが充満していて、
“食べる”ことよりも“出す”方の重要性を痛感しました。
まだ学生でしたので、あまり役に立てず悔しく思いました。
引っ越しバイトでも何度か地震で半壊している家の引っ越しをしました。
土足で上がりいつ崩れ落ちるかわからない天井を見上げながら
家財道具を運ぶ貴重な体験をしました。
学校卒業後、京都の接骨院に移りました。
この接骨院は、近隣の整形外科の先生が骨折や脱臼の整復ができない場合に患者を送ってくる位の
接骨院で外傷の勉強はよくできました。
この院を退職後、念願かなって約9カ月間南米大陸を自転車旅行しました。
途中2000年1月に南米大陸最高峰のアコンカグアに単独登頂しました。
途中2回アタック失敗して死にかけ予定よりもだいぶ遅れたため、
麓の町メンドーサでお世話になった民宿アコンカグアのご主人には、心配をかけてしまいました。
帰国後、大阪市内の鍼灸整骨院の分院長とクリニックでの整体治療を兼任しました。
勉強会の会長も任されて素晴らしい多くの先生方とも巡り合えて良い勉強をさせていただきました。
クリニックを退職してカナダ・トロントのカイロプラクターの下で2か月、
マンハッタンで1か月短期留学し、実際に患者様の治療もさせていただきました。
帰国後、マッサージ資格の必要性も感じて、京都の仏眼鍼灸理療学校本科に入学しました。
在学中に自宅で接骨院を開業、翌年に柔道整復師専科教員の資格も取得しました。
卒業後は、京都の専門学校、神戸の専門学校で非常勤講師として教壇にも立ちました。
45歳の時に東日本大震災がありました。
岩手県陸前高田市と福島県南相馬市にボランティアに行きました。
神戸の時よりは地元の方に寄り添え、喜んでもらえたのではと思っています。
腕が、上がらなくなっていたおばあちゃんの腕が、1回の施術で上がるようになり、
みんなに言って回って喜んでいる姿を見たときは、
「来てよかった!」 とこちらも本当に癒されました。
また奥さんと娘さんを亡くし、職場を流され、それでも消防団の団長として
みんなを鼓舞し続けていた方を治療しました。
見た目は元気だったのですが、体を触って驚きました。
全身ガチガチで気の流れも著しく滞っている感じでした。
非常に悪い状態だと思ったので、後のことを地元のボランティア団体に頼んだのですが、
2年後56歳、肺がんで亡くなられました。
本当にショックでした。
被災地での貴重な体験とTVで放映された在宅医療専門医師の活躍を見た頃から
訪問マッサージに興味を持つようになりました。
生活を支える医療である在宅医療中、体調管理のケアシステムの中に
訪問マッサージも入るべきではないかと思うようになりました。
地域により密着し、喜んでもらえる訪問マッサージをどこまでも追求していきたいと思っています。
よろしくお願い致します。
当院のめざすこと
■QOL (quality of life/クオリティ・オブ・ライフ:生活の質・人生の質)の向上
大切なのは本人・施術者の二人三脚、もしくは家族も含めた
三人四脚で進まないと回復・改善は望めないということです。
少しでも自立した生活を過ごせるよう
「できる」 「する」 の幅を広めるための
あらゆるサービスを提供します。
■GIVE & GIVE
問題・課題を通して真剣に患者様と向き合い、
本気で取り組んでいきます。
そして、患者様にとって本当に必要なものを与え続けます。
■トータルメディカルケア
応用解剖学、運動生理学、東洋医学を土台に、
これまで学び、実践してきたカイロプラクティック、
操体法、西式健康法、AKA、筋膜療法、経絡治療(鍼灸)、
指圧といった様々な治療法をベースに
独自の療法を行います。
主な訪問エリア
(その他の地域の方もお気軽にお問い合わせください)
治療院から半径3㎞圏内が往療地域です。